茶店妄想叙事詩

顔も知らない誰かの物語を執筆しています。

スタバもうそう叙事詩

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会社帰りにコーヒーショップに立ち寄る。この時間は店内に賑わいもない。会話の弾んでいるいくつかのグループと、ただ目的無さそうに手元のスマホを触っている客がちらほらいる限りだ。僕もその1人かもしれない。強いて言えば疲れた体に甘いフラペチーノを流し込むのが目的か。

例に漏れずちうちうと甘い汁を啜りながらスマホを触っていると、背後の女性客グループが何やら興味深い話をしていた。

「お姉ちゃんがまた通販で美容グッズ買ってきて…」

そんな会話をなんとなく聞いていると、僕の中で一つの物語が思い浮かんできた。

 

これはあくまで、僕の妄想の話。

 

地下鉄の階段を登る足が重い。空は満点の灰色を讃えており歩道橋には眠たげな老婆がスロー映像のように歩いている。都心から40分ほど電車を乗り継ぎ、たどり着いたのは賑わいの無い街であった。

そんな街に似つかわしく無い白く巨大な円錐状の建物がしばらく先に見える。建物の壁面には巨大な広告が街を見下ろすように広げられており、下品なネオンに照らされている。

『美を科学する』

広告に大きく書かれているゴシック体は、連日のTVコマーシャルで聞き覚えのあるフレーズだ。

女ーーー遠藤恵子は円錐に向かって歩を進める。

 


「可愛すぎる若手女社長」と言った触れ込みで雑誌やインターネット記事にインタビューされたのは十余年前の話、仕事の虫となり蓼という蓼を毟り尽くし事業を拡大した恵子にとって、手に入らないものは無い。

しかし失う物はある。学生時代に付き合った彼氏とは留学を機に別れ、仕事の忙しさで友人とも疎遠になった。何より許せないのは自らの美貌が失われていくことであった。寝ても覚めても溜まり続ける業務に振り回される日々の中で、ふと鏡の中の自分があまりに生気に欠けていることに気づく。恵子はゾッとした。鏡の中の自分の姿が、これまでの人生が誤っていた事を示す証左たるものに思えた。

アンチエイジング」、なんて言葉を検索するという事実ですら腹立たしいが、そんな気持ちなどどうでも良かった。実益を求めることが恵子にとって唯一の正義なのだから。

 


「その気持ち、痛いほどよぉ〜くわかりますよぉ」

受付を済ませ、診察室に通されると、そこは物々しい機材が置かれた真っ白の部屋であった。院長の小見川女史がニヤつきながら話しかけてくる。

「やはり分かっていても、人間は逆らいたいモノですからね、時間というのは恐ろしいです」

「本当に効果があるんですよね」

駅を出た時から恵子は疑っていた。いくらなんでも胡散臭い。その気持ちが語気を強くさせた。

「私の開発した美容法は科学的に根拠のある、これまでと全く異なった新時代の施術でございます。それに、方法さえ理解すれば通院せずとも効果が持続いたしますから」

そう言うと冊子を取り出し、恵子に手渡す。表紙には「相対性理論」と書いてある。

「ご存知ですか?」と小見川。

「何をでしょう。相対性理論の事でしょうか。」

「端的に言うとタイムマシンですよ。私の美容法は科学的に導かれた手法なのです。」

恵子は心中で溜息をついた。美を科学するとはよく言った物だ。要は、タイムマシンで若返るとでも言いたいのだろうか、小見川は自信ありげに冊子を開くと施術の説明が始まる

アインシュタイン博士曰く、時間とは物体ごとの座標系に定められた相対的な物であり、エネルギー量と時間量が座標系間で変換されうる物なのです。」

「どう言う意味でしょうか、まるで理解が及びませんが…」

小見川が言うには、大きなエネルギーの前では時間の概念が変わりうるらしい。一般的に地球という巨大なエネルギー物質の上にいる限り時間の進み方は同一であるとされているが、

「巨大なエネルギーを持っている物質は時間の概念を変えることができるのですよ。子供の頃は長かった夏休みが大人になると一瞬だったりするのは、子供に内包されているエネルギーが強大だからなのですよ。」

それはどうかと思うが、少なくとも小見川の中では理屈が通っているようだった。

「あまり理解はできませんが、私が若返るにはどうしたら良いのでしょうか?」

「正確にいえば時間の流れが遅くなるだけなのですが、つまりお客様に巨大なエネルギーを与えるのですよ。こちらの機械を使ってね。」

小見川が取り出したのはベルト状の機械だった。

「こちらのエネルギーベルトを身体に取り付けて動作させると、超高速の微振動が発生します。これを人間の運動エネルギーに落とし込む事で、お客様の身体が内包するエネルギー量を飛躍的に増加させ、相対性理論によって時間の流れを遅くしたりあるいは遡行させることができるのです。」

経済学一本で生きてきた恵子にとっては、もはや科学か眉唾か判断をすることもできなかった。ただ、目の前にいる白衣の女が自信満々に差し出す特撮ヒーローのおもちゃのような物体への興味は大きくなってきた。

美容についての積み重ねを怠ってきた自負はあった。そんな恵子は圧倒的に効果のある美容方法を求めてわざわざやって来たのだ。

「私が見たところ、お客様はエネルギーが足りていないように見受けられます。そんな方には特に効果的ですよ。」

それはあなたのセールストークに疲れているからでは?口には出さなかった。

疑うよりも使ってみる方が良い。それで効果があれば問題ないのだから。


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恵子は自宅のドアを開ける。右手には『美を科学する』と書かれた紙袋があった。


恵子は早速エネルギーベルトを腰に巻く。

そして、少し怯えながらスイッチを押した。

するとみるみるうちにベルトは微振動を始め、恵子の体を包み込んでいく。ものすごいエネルギーを感じる。

ベルトのつまみを強に入れるとさらに振動を増していく。

恵子は確信した。眉唾では無かったと。自分の中にエネルギーが蓄えられてくのがわかる。これなら本当にタイムスリップも出来るかもーーーー

 


数ヶ月後、恵子は鏡を見る。

そこには、かつてより少々シェイプアップしたお腹と、生気の欠けた顔が映っていた。