茶店妄想叙事詩

顔も知らない誰かの物語を執筆しています。

スタバもうそう叙事詩

お好きな野菜は?

 飲食店が立ち並ぶこの地下街は、お昼になると活気が溢れ、喧騒にまみれている。比較的、空いている店で昼食を終え、まだ少し時間があることを腕時計で確認をした。私は、食後の眠気覚ましにコーヒーを頂こうと思い、某コーヒーショップに寄った。少し列ができているようだったが、そこまで時間はかかりそうになかったので、最後尾へと足を運んだ。何を買おうかと考えていると、私の前に並んでいる女性が、「あ、トマトが飛んでる」と自分が着ているジャケットを見ながら言った。すると隣の男性が、「あー、やられましたね」と続けた。

 

 では、彼女たちの人生を少しだけ、勝手に妄想してみようと思う。

 

 トマトが苦手だという方は、皆さまの周りのも多いのではないだろうか。毎年の春に行われる国民調査によると、好きな野菜部門でトマトは順位が低迷している。そんな、世論にも負けじと、日夜、研究に励んでいるのが、彼女らが所属している都立トマト研究所である。

 昨晩、遅くまで研究室に籠っていた彼女は、大きな欠伸をしながら純白の白衣に袖を通し、いつものように研究室へと向かった。彼女が研究室に入ると、男性が1人、机にうつ伏せになって寝ていた。彼は、彼女の後輩で助手をしているのだが、最近、「先輩は人使いが荒い」と言われてしまった。昨晩も零時を回っているのに、無理強いをして、研究に使うトマト缶を買ってきてもらった。彼女は「本当に申し訳ないと思ってるよ」と一応、謝罪をして、今日は放っておくことにした。

 彼女は徐にデスクの前に座り、今までの研究で発見された、トマトの新成分データを整理し始めた。トマトを赤外線に当て、こんがり小麦色の肌にしてやると、美容成分で有名なリコピンとは打って変わり、老化現象を引き起こす成分が発見されたり、トマトをサウナに10分間放置した後、冷水に漬け込むといった動作を繰り返すとモルヒネのような麻薬物質が検出されたりと、溜息が出るような結果しかないではないか。1週間程前には、トマト缶とブラックコーヒーを混ぜ、真空装置に数時間晒すと睡眠を促す作用がある事も立証された。後輩はおそらく、この睡眠作用で眠りについているのであろう。ただこの作用に関しても役に立つか、立たないかは一目瞭然である。

一刻も早く成果を出さなければ、所長からお叱りを受けるだけではなく、スーパーの野菜売り場からトマトが消えてしまうかもしれない。何も考えずに寝ている後輩はお気楽で羨ましい限りである。薄らといびきまで聞こえてきたではないか。多少の苛立ちを覚えた彼女は、彼を叩き起こし、昼食を食べに行った。

 

 これほどにも、トマトに貢献して働いている人がいるのにも関わらず、トマトソースやケチャップは今日も人類の衣服を汚している。彼女もまた、その被害に遭ってしまったようだ。恩を仇で返すとは、この事である。